治験終了 もうすぐ発売と秋に聞いた

インチュニブ
血圧を下げる薬

それがADHDの治療薬としてその内認可されるらしいという話を17年.秋に聞いた。

末娘の通う小学校の運動会に行った時に、長女と同級生の男の子のお母さんからの情報。

彼、娘の同級生がそうじゃないかと当たりをつけて話してみると、やっぱりそうだった。

もう娘とは違う学区の中学になって2年半。あと半年もすればその中学も卒業と言うこの時に、2年半前、それ以上前の話を掘り起こしながら今の、更にその先の話を私達はした。
その時に教えて貰った話だ。

血圧を下げる薬と聞いて、試しに母の血圧の薬の名前を告げてみた。母は高血圧で毎日薬を飲むようになっていたから。

母は「知らない」と言いつつ、少し興奮気味に私の話を聞いていた。「ああ、そう。」只それだけの返事に熱がこもっていた。

もしかして、の未来を一瞬に描いたのだろうな。いや、私もだが。



すっかりそんな秋の話は忘れてしまったが、何をたどったのか通りすがりに、
先日親御さんが娘さんに件の薬の開始したブログを読んだ。


娘さんにインチュニブを開始したら、に続く印象的な言葉。


「彼女には今まで、今、この場所しかなかった。
今彼女には、過去と未来がある。」


「情報のアウトプットが出来ている」



なんと、身に覚えのある言葉だろう。

情報は、整理できなければ、記憶として定着しづらく留めて置けない。
記憶に留められない過去は無いことと同じで、経験としての積み上げにならない。
過去がなければ、先の見通しが作れず、未来は描けない。

何も積み上がらなかった娘さんに過去が出来て、未来も出来たのだ。



そして

「来年は小学生だけど」


小学生。
と言うことは、現在未就学児。

それほど幼い娘さんに投薬治療にたどり着くほど、親御さんは娘さんの状態に気が付けていた、のか。

それほどに幼くても、投薬治療は、開始出来る、のか。
(投薬治療が「最後の手段」ではないことは知識としては知っていても)

娘さんへの細やかな視点がなければ、その年なら、見過ごされがちな症状を見過ごさない親御さん達。
そして、投薬治療の開始の早さ。

驚くばかり。




さて、私は。