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「掟上今日子の推薦文」

「掟上今日子の備忘録」を買いたかったのに売ってなかったんです。
Amazonしようかと思ったんだけど、何かAmazonしたら負け的に思うところがあるんです何でだろ。
で、TSUTAYAで「推薦文」があったのでつい買いました。いそいそと。

うむ。

ドラマで一通り知っている内容を読むって、それを推理物を読むって、中々なんつーか。
ただ、ドラマで知った内容と本の内容を比べると、やっぱり、ドラマって 一般受けするように出来てるんだなぁとドラマに感心してしまった。

そもそも準主人公の隠舘厄介はドラマの備忘録ではずっと今日子と関わってきたが、どうやら、その巻毎に今日子さんのさんの相棒は違うらしい。次の巻を読んでないから良く分からないけど。

つまり、視聴者の視点が定まりやすいように、厄介君がずっと今日子さんの側にいる、という状態がドラマのやり方。それを常と思っている私には、「推薦文」は親切守という人物がワトソン役をやっている。それに私は違和感とゆーか落胆。

それから、西尾維新節が…他のレビューでも書いてあったのを読んだけど、ドラマだと薄められているっぽい。
文章の圧倒的な情報を映像で現すのだから、かなり省略されるんだとは思ってたけど、でも、ある程度に留まるのかなぁ。
だって、物語シリーズのアニメはかなり語りが多い。アニメらしいモノローグとも言えるけど、きっと本文もそうなのかな。
普通の人達ばかりが出てくる探偵の話だから、いつもとは違うのかもね。ドラマでは殺人事件の犯人の告白位しかムリだもんね。

実際、読んでみると、一時間のドラマでは表現しきれないような、有能な探偵の推理への道筋や、凡人の脇役の戸惑いや、不正解へのミスリードが描かれていて、
正解を知っている人間としては、まだるっこしくなってしまった。これは、原作を先に読んでた方が良かったのかもと思わせた私には珍しいケース。

つーか、この時点で忘却探偵としてのキモが未だ出ていない。この本だと単に優秀で最速の探偵なだけになってしまっていた。あと3冊出ているけど、「忘却」は活かされるのかしら。

さて、そんな事をつらつら考えてる内に、自分がどんだけドラマの話にハマっていたか分かる。
私が「掟上今日子の~」を探し求めたのは、もう一度厄介くんと今日子さんのやり取りを見たかったからなんだなぁ。

うん。
あの二人にもう一度会いたいが為に、本を買ったんだ。


この話(この巻)の、「忘却」は活かせていなかったが、(いや、多少あったけど)ドラマでの「彼女の記憶は続かない」は見事に活かされている。

自分を毎度忘れる彼女に恋する男の切なさよ。
でも実は、次に会うときには、彼女の運命相手の如く振る舞うことが出来るという利点も。しかしこの点は、中々ホラーな話なんだけどね。自分の知らない間に自分をよく知る人間がいる…て感じ私にはホラーだから。
ホラーはともかく、そんな切なさと狡さを岡田将生が演じてる。

今日子さんの苦悩はそもそも原作にもあまり出されてないだろうな。ガッキーの今日子さんは一見にこやかな対応をしてるけど、オートマチックな返答ばかりをしてる感じの生々しさがない。原作だと、少々ドライに、又は強かに感じる表現もある。この辺は原作に則した演者による違いなのかな。

原作とドラマの決定的な違いは最終回に向けた数回なのかもしれない。(「かも」は、一冊しか読んでないからなんだけど)最終回の彼女の感情的なシーン。
これは彼女の記憶の続かないと言う事のシビアが現されたたシーンでもある。

実際、忘却探偵として1年2年はともかく、10年も時が進んだら。10年の月日で対応出来ないことが増えるだろう。探偵として成り立たなくなるんだろうな。
何より毎朝自分の顔を見て悲しむだろう。そしてそれが20年30年と続いたら。毎朝、ショックを受けなきゃならない。
例えば、
「毎朝叫び逃げ惑う中年女。皆が彼女を狂人だと思う。しかし実は病による、彼女の孤独を誰も理解できないで、孤立していく…。」なんて話は、あり得るだろうし。


ドラマでは、二人の恋の行方はいかに?で終わったけど、人の寿命まで単位として考えるとすごい話だ。
人がその人として生きるのには、記憶が一番大事だろうから、人を…
言葉が見つからないけど、人を揺るがす話なんだよね、アルツハイマーとかみたく。

て、ここまで来ると、西尾維新の「掟上今日子」の話じゃなくなるんだろうなぁ。
最終巻が早く出てくれないかなぁ。オチを早く知りたくなる。どーゆー方向へ話を持っていくんだろうか。


と、帰り道歩きながら考えたことをメモ。
おやすみなさい。

あ、やべ。
これ「掟上今日子の推薦文」の話ほぼ書いてないや。


掟上今日子の推薦文 (講談社BOX)

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