味噌が出来た

去年の2月くらいに
生協で販売していた手作り味噌作りキットを購入した。



子供の頃、一度だけ母が味噌を作った。

味噌樽なんぞもなく、大きいタッパに味噌玉を詰めて、床下に保管。
それをすっかり忘れた頃に、床を開けてみたら発酵して味噌になったものがタッパから溢れ出て床下の狭い収納庫を汚していた。ベタベタに汚れたタッパを慎重に床下から持ち出し蓋を開けた。
中から、潰れた煮豆とは違う強い匂い。味噌の匂いだったのだか、汚れた場所からそれと同じ匂いで同じものがタッパの中から更に強い匂いを放った。

蓋を開けた表面は、黒く土か泥にしか見えなかった。溢れた分の汚れも、まるで雨に降られた後の泥はねのようだった。母は床下に頭を突っ込んで、溢れた味噌を拭いていたが、私はの手伝いもせずに、気持ち悪く、大変だなぁと眺めてただけだった。

そんな泥か土か分からないものの真ん中辺りを切り取る様に掘ってお弁当箱程の小さいタッパに詰め替える。清潔なタッパに詰めらたのを見て、やっとそれを味噌だと思え、肩の力が抜けた。

母は、勿論それを料理に使った。
味噌の匂いを妹は「変な匂い!」と叫んだ。「これが正しい台所の匂いなんだよ」といなす。
いつもと同じ様に食事を用意する母。少しの間はハラハラと見守っていたがそれも途中で飽きてテレビを見はじめる。

一瞬全てを忘れ食卓に着いたが、又母が「手作り味噌の味噌汁だよ」と声をかけた。それは、その言葉を理解する前のお碗を手に取って一口飲んだ後だった。

味噌汁になったとたん、市販の味噌より香りが強いこと、大豆が潰されきらずに豆の形を残してお椀の中にあること、舌触りがざらざらとしていること、それら嫌悪感なくを美味しく思った。
一転して、味噌汁が出る度に少しづつ減っていくのを惜しむ様になる私。

別にこのせいで味噌汁が好きになったわけではないと思うけど、手作り味噌は美味しいものと印象が残った。でも同時に、大変なものと言う印象も強い。
そのせいで、いつか味噌を作ろうとずっと思っていたが、行動にはうつさなかった。

生協で味噌作りキットの販売しているのに気が付いても、それを眺めるだけで、市販の味噌の値段と比べ、一年で食べられる味噌の量を計算し、失敗したときの腐敗した大豆の処理を想像して、手を出さずに見送っていた。

が、去年は弟の嫁さんが自作しているのを聞いて、対抗意識が働いて買ってみた。

その手作り味噌キットは、昔より生の大豆ではなく茹でた大豆が入っていて、作りや易くなっていた。
小さくもなくなった子供達は、邪魔にはならなかったが、全く興味も示さずに手伝わない。
味噌玉は3キロ分もあって、持ちのタッパには入りきらない。梅シロップを作る5Lのガラス瓶。内蓋を無くしたせいで使わなくなっていた物。これに入れることにした。

透明なガラス瓶に、茹で潰した大豆を、詰め続ける。味噌玉と味噌玉の間に空気を入れないように、の注意書を守ろうとぐいぐいと押し込む。狭い瓶の口に腕を突っ込んで、全ての味噌玉を収めた。内蓋代わりにラップを大豆の表面な何枚も被せて、重しになるべく大きなカップ酒ビニールにくるんで乗せて、完成とした。透明の瓶だが、暗い場所にしまえば大丈夫な筈だ。階段下の収納庫に入れればいい。

瓶の側面から、潰れた大豆を眺めた。

ここから味噌が溢れたら どうしよう。
この煮豆が腐敗したら どうしよう。

そんな心配をしつつも、階段下の収納に入れた後は放っておいた。
夏の前には食べ頃を迎えた筈だったが、
秋を迎えても蓋は開けず、年末が近づいてきた。
流石に年を越すのはどうかと思って、収納ーから引っ張り出してみた。

見事に味噌になっていた。
表面近くは酸化が進んで黒く固かったが、カビは見えなかった。腐敗はしなかったんだ。瓶の中から、味噌を掘り出して700mlのタッパに詰め替える。
美味しそうな味噌の匂いがした。


夫はそれを使って鶏のささみを味噌漬けを
大量に作った。
味噌がタッパに詰め終わったのを見た子から、味噌焼きお握りのリクエストが掛かる。
丁度、下の二人の空手の試合のお弁当に入れた。好評だった。


怯えていた程大変でもなく、腐敗せずに、味噌になった。良かったと思う。


今年も作ろうか。どうしようか。
ちょっと、出来上がったその味に満足していない。他の産地の味噌キットが良いのかな。発酵期間が長かったせいなのか。

又2月になる前には、決めなくては。