あたしんち、お化け屋敷

f:id:meumeumeu:20151213231249j:plain母の生家の処分が決まった。

母は、亡くなった祖母からその家を受け継いだものの、空き家のままになっていた。その家を処分するには決心が付かず、の良くある話だ。

震災にて、瓦や壁の崩れたその空き家は、直さない限り、誰も住めない只の廃屋になった。処分が決まった、つまり、売れたのは幸いなのだ。

しかし、処分の前の準備をしなければならない。

昔は母に連れられ行ったその家に、老いた母と父を連れて車で行かなくてはならなくなった。車で2時間半のドライブは想像するだけで、ため息が出る。
馴染みの無い道、渋滞…。ふう、と。

7時前になんとか家を出て、渋滞はあったものの、特に巻き込まれず、スムーズにその家までの道を進めた。

埼玉から栃木へと北上したため、車から降りると、寒かった。

母の生家、祖母の家に来るのは、10年ぶりか。着いて、塀のブロックがなくなっていることに気が付いた。震災で崩れたのを撤去したのか。
閉まっている門を軋ませながら開けて、庭に進もうとするも、雑草に阻まれる。雑草もそうだが、木から垂れ降りている蔓が、視界も縁側までの道をも阻んだ。
諦めて、道を外れ、空き地のような庭の隣の畑へ進む。雑草はあるが、大したことはなく、かつての畑を回って庭に面した縁側に向かおうとした。

夏でなくて良かったのだろう。
草の勢いは弱い。

門の脇に止まっているトラックからは、庭の木の伐採を依頼した業者が既にいた。約束の時間より早かったが、母が挨拶をして、作業が開始された。チェーンソーや草刈り木のモーター音が唸り始めた。
隣家との境の畑にある木から始まる。

いや、全ての木を伐採すると聞いている。
私にとっては祖母の家は「柿の木が3本あって、すももの木とグミの木、鯉の池がある」家だ。全ての木がなくなるのは、悲しく感じた。


畑から家を見ようと目を向けても、好き放題に伸びた柿の木と蔦と藪で見えなかった。

門から縁側に続く道にある柿の木には、小さい実が沢山付いていた。この柿の木は、祖母の家に帰る時にいつも見る、私にとってのシンボルツリーだった。その太い幹に登り易そうと試したことはあったが、高々2メートルも上ると怖くなってやめたことがある。その柿の木を畑側から見るのは馴染みがない。高くなり過ぎて実のなる枝に手は届かない。そして実がなり過ぎのせいかで、小さいのだろう。そして、その実は誰も取らないせいで、そのまま地に落ちて潰れていた。柔らかく、誰も通らない土の上に。これは、いつか山道で見た柿の木のある道だ。誰も通らない道で鳥がつついた分、落ちる。そして、まだ沢山ある枝にある柿を啄む。あの山の中にあった、光景だ。ここは、もう庭じゃないんだ。

畑から庭へ向かおうと歩く。
私が庭とする領域の認識は芝生が植わっている事が条件だったが、そこは、柔らかくぼこぼこと隆起していた。
父に「土が柔らかいね」と向ければ「もぐらのせいだ」と答える。この柔らかさは、もぐらのせいなのか。ここにも人が居なかった証明が。
私は能天気に畑のようだと思っていたが、人が畑をやる上での害獣好き放題に穴を掘っているのだ。

ともあれ、家の中に入る。思ったよりは荒れてはいなかった。
と、いうのも妹が何度か、ここで住んでいたせいだろう。その分、生活のあった乱雑さが残っていた。

特に2階は個室としての妹の趣味がそのまま残されていた。岩塩のピンクのライト。吐き気がする。
叔母や母の趣味の本やその頃のラジオ講座のテキストもあった。その頃の叔母も母も勤勉であったのだ。

父の声がして、母を呼んだ。
隣家の主人が来たとのこと。隣家の主人は、母と話すと帰っていったが、内容は空き家になったこの家の草や木の事だったそうだ。草や木に着く虫が、迷惑をしていると。虫を追い払うための除草剤も殺虫剤も撒いたとのこと。農家にとって、まさに死活問題になりかねない話だ。農家の娘の母も良くわかっている。私に説明しながらため息をついた。

ふと、壁を見ると、隙間から光が。
外の風景すら細く見えた。
きっとこのまま日が暮れたら、さぞかし冷えるだろう。ここは、もう本当に人は住めないのだ、と思えた。
いや、畳が腐っている場所もある。そう言えば、一階も畳が痛んでいた場所があった。丁度この下の辺りだった気がする。天井を見上げれば、そこも黒く腐っている。瓦が落ちた場所はここかと。やはり、もう、廃屋なのだ。

妹の残した物はともかく、30年前からある物もあるこのガラクタの中から、母は「買うくらいなら」を呪文に、ハンガーや羽毛布団を車に乗せた。

あちこち鼠の糞や小便の汚れや長年の埃にまみれた物を、戦利品として集めるのを眺めて呆れたが、私も下らないガラクタを、茶器やら皿やら、を車に積んだ。

3時間程作業して、諦めて帰ろうとする。
早めに帰らないと夕方の渋滞に巻き込まれてしまうと父が焦り始めていた。

後は壊すだけなのだろ?と母に問うと、倉にある着物の処分がまだだと言い始めた。慌てて倉に行けば、手付かずの場所がそのまま埃臭い衣庫にあるのだ。
諦めて、又、来ることになった。

少しだけホッとして、車に乗り込む。


廃屋というより、迷惑なお化け屋敷のような祖母の家に又来ることになるのだ。
それは来年の話だ。
今年の内にこれて、良かった。

又来年。